霧島会対策チーム

霧島会の歴史(1)  保守連盟

前書き

今回からコミュニティ「霧島会」のこれまでの経緯をなるべく詳しく皆様にお伝えしていくつもりですが私自身も古参のメンバーに聞いても、「霧島会」が最初に結成されたのがいつであるのかはっきりとは解りませんでした。

気が付いた時には出来ていたというのがメンバーの認識であり、私もそうであります。

本当の成り立ちは現在の「霧島会」のオーナーにしか解らないのが現実でございます。  

では何故今回「霧島会の歴史」の初回にコミニュティ「保守連盟」を取り上げるのかと言えば多分こちらの方が古いコミュニティであると考えられ何よりも私が最初に在籍したコミュニティであるからでありよく解るからでございます。   

この「保守連盟」は現在ある「保守連盟」コミュニティとは全く違います。非常に健全な保守層の集団でありメンバー数は私が加盟した頃で70名近くおり、現在の「保守連盟」のメンバーとは全く違います。この「保守連盟」が合併して現在の「平成奇兵隊」となりそこから分かれたのが「売国奴ニュース公開版」でございます。「平成奇兵隊」のメンバーが「売国奴ニュース公開版」に現在でも多く在籍しているのは元が同じであったからであり役割分担の為に分かれただけでメンバー同士は今でも仲が良く管理メンバーが重複しているのもその為です。

この「保守連盟」をまとめ上げたのはある一人の偉大なユーザーでした。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/8e/c427d76c513fdd6349854e7df719be29.jpg

鬼龍院花子さんの実績   

私は通常、誰の画像であろうとも気にせずに使用いたします、文句が出ようが相手が不満に思おうがためらわずに使用いたします。

しかし、この人に関するものだけは全く違います。一言「花子姐さん、使わせてもらいます」と承諾を得ないと使うのもかなり気が引けます。   

この私の気持ちを解ってくれる古参のメンバーの皆様も多いと思っております。

また現実に上の画像を見たり、花子さんの名前を見て非常に懐かしさを感じるメンバーさんも多いと信じております。我々保守層の集団が出来たのは花子さんのおかげであり我々がコミュニティを守っていきたいと考えるのは花子さんの業績を受け継いで汚したく無いからでございます。今でも古参のメンバーは花子さんの復帰を願っており、その為に苦しくても投げずに頑張っている側面がございます。保守層のコミュニティをまとめ上げ形を創ったのはこの人であり、このユーザー無くしては今のコミュニティの形成はございませんでした。

新しく入会して頂いている皆様はyoutubeでコメントを投稿する事とコミュニティで動画を投稿したりコメントを入れたりする事の違いをどう感じていらっしゃるでしょうか?

全く同じ事だと考えられているかたは少ないと私は思っています、なるべく同じ考え方のメンバーの中で動画を共有しコメントし拡散していく事は非常に重要で、それによって仲間を増やし価値観を共有し自分の気付かなかった情報も手に入る訳でございます。       

この事にいち早く気付かれて仲間の編集を行い、まとめ上げたのが花子さんでした。  

私は直接面識がございませんが花子さんを知っているメンバーから聞いた話によると花子さんは男性だそうです。ですから以降花子さんを彼と呼ばせて頂きますが彼がコミュニティに在籍中は我々の仲間にも他のコミュニティとも何の争いもありませんでした。        

厳密に言うと争いは全て彼が引き受けてくれて争いの種は事前に取り払ってくれて、我々が充実してコミュニティで活動できる様に計らってくれたのは全て花子さんでございました。私も含めて管理メンバー、オーナー全員が大変お世話になりました。                

豪快な性格で重い責任感を持ち優れた決断力、高い統率能力のある花子さんの下で我々霧島会対策メンバーと現霧島会のオーナーが仲良くコミュニティで情報を交換し合えた訳であり花子さんが在籍した末期まで我々と霧島会オーナーは同士でございました。      

あとがき

現在発足している「霧島会」コミュニティは3回目の発足でございます。     

最初に出来た霧島会には実質的なオーナーとして花子さんが在籍していた為に、現在とは比べるまでも無くまともな保守コミュニティでございました。    

我々は鬼龍院花子さんの下では見事に団結出来た訳でございます。

さて、次回はそんな鬼龍院花子さんが何故突然保守コミュニティを全て抜けてしまったのか、そして何故我々霧島会対策メンバーをはじめ古参のメンバーが現霧島会のオーナーに強い不満を持っているのかの核心について記述したいと思います。

お付き合いの程、宜しくお願い致します。