霧島会対策チーム

ブログ開設にあたって

前書き

霧島会対策チームの一紫です。

私のブログをこれまでご覧頂いていた皆様、お久しぶりです、また初めてブログをご覧になる皆様、今後とも宜しくお願い致します。

「霧島会」についてはかなり以前から我々対策チームの人間は苦慮しており何とか早期に手を打ちたい思いでございました。

このコミュニティは表面上保守を名乗っており現実に保守にふさわしい投稿も少なくありません、ですから皆様が有意義に参加されて活動される事には何の問題もございません。私が皆様にお伝えしたいのは「霧島会」が隠している真実であり、時折投稿されるこのコミュニティの疑似性を見抜く目を皆様が持って頂ければ幸いだと考えております。

その為にもゆっくりとこのブログは進めていく予定でおります、私がこれまで書いてきた歴史ブログと並行しながら書いていくつもりでおります。宜しくお願い致します。

さて、昨日の私の「霧島会対策チーム」の挨拶の投稿で招待状が来て霧島会に入ってしまった事を後悔しているという趣旨のコメントを頂きましたが全く違います。普通の人間ならコミュニティから招待状が来れば深く考えずに入ってしまうのは当然の行為であり当たり前の話です。

私は以前にカルトブログで人間の心理について書きましたのでここで重複させませんがリンクを張っておきます。

http://blogs.yahoo.co.jp/bhnsd053/57393553.html

 

ご覧頂いていないかたは見て頂けるとありがたいです。

これはカルト宗教のマインドコントロールの方法について記述したものですがコミュニティへの参加要請は「霧島会」も私が所属しているコミュニティも含めて全てこの心理を利用したものであり何も変わりません、最初に投げられたローボールであり受け取ってしまうのは当然です。

ローボールという言葉が解りにくいかたは街中で無料で配られているティッシュペーパーを考えてください。

あのティッシュペーパーはティッシュを無料で渡す事が目的では無く会社の営業方法です、当然まともな会社もあれば悪質な企業も数多くございます。皆様はどこの会社か確認してからティッシュを受け取りますでしょうか?

私は何の確認もせずに無抵抗な状態で受け取ります、もう1つくれと要求する事もございます、これが当たり前の人間の心理でありいかなる配布物も絶対に受け取らない人間のほうが確実に変人だと思います。

そこから先に進むかどうかが問題であり配布する企業はそれを狙っている訳でティッシュペーパーを受け取って使用する事に何の問題も無い事がお解り頂けると思います。

皆様の物事の真実を見抜く目が重要である事がお解り頂けたでしょうか?

https://lh3.googleusercontent.com/-i8ShpCrJKeI/AAAAAAAAAAI/AAAAAAAAAAo/lwXgYuswaeU/w360-h203-p/photo.jpg

霧島会の前文について

今回はこのブログを始めるにあたってのプロローグであり本格的に具体例を挙げて叩いていくのは次回からに致しますが、それではブログ自体の意味を半分失いますので1つだけ「霧島会」の欺瞞性を述べさせて頂きます、そのコミュニティの趣旨は前文にあると言っても良く前文はそのコミュニティの方向性を表します。

この前文も現在削除されていますが我々は保存して持っております。

霧島会の前文はこれです。

 

三枝靖夫  オーナー   政経塾 霧島会(公開版)


政経塾 霧島会(公開版)を新たに発足いたしました。
当会は、保守の本来のコミュニティとして
わが日本国を左翼思考、戦後レジウムより脱却させ気概のある日本国にしていきたいと願っております。
当会の精神として、神国日本を本来の日本国に正してゆく保守の正義を通して参ります。
聖徳太子憲法十七条にありますように
和をもって貴し!といたします。

基本的に他宗教の攻撃は致しません。
神国日本でありますから信仰を重んじる精神であります。
但し、オカルト集団に明らかな邪教集団の場合は除外といたします。

 

この前文と現実の霧島会の運営に疑問を持って辞めていったユーザーのかたも多いと思いますが今見ても実におかしい奇妙な文章だと思います。

彼自身が聖徳太子の事をよく解っているとはとても思えません。

私はこれまで歴史ブログを書いてきましたのでここで少し歴史の話をさせて頂きます。

聖徳太子憲法十七条は十六条と言っても良く「和をもって尊し」の文章が一条と十七条と二回にわたって登場します、歴史を断片的に語るのは間違いであり聖徳太子を語るならその時代背景も読み込むべきです。

聖徳太子が摂政の位置に付いた時の日本は決して独立国とは言えずまだ支那の属国的な存在でした。当時の王朝は隋であり皇帝は二代皇帝の煬帝でした。

日本は現れては消えていく支那の王朝に危機感を持っていた訳であり日本国内でも「豪族」と呼ばれた曽我氏と物部氏が壮絶な権力争いをしており「和」とは程遠い世界でした。聖徳太子が行った事はそうした日本国内の反乱を抑えて支那からの独立を果たした事であり「和をもって尊し」は日本国内向けの言葉であり対外的には全く逆の政策を取っております。西暦六〇三年に隋に派遣された小野妹子煬帝に手渡した隋書には

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや。」という皇帝に対して極めて無礼なものでありこれを読んだ煬帝

「蛮夷(ばんい)の書、無礼なる者有り、復たもって聞する勿れ。」と怒り狂っております。本来なら小野妹子はその場で斬首刑であり日本本土への攻撃も覚悟しなければならない事態でした。

ところがそれを煬帝が出来なかったのは隋は高句麗と戦争中であり日本と高句麗が手を結べば隋が危なくなる状況だったからです。

聖徳太子は続けて西暦六〇八年にも小野妹子を派遣し「日出づる処の天子、書を日没する処の天子」という言葉を「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」と変えて煬帝に日本が独立国である事を認めさせ「天皇」と「皇帝」とが同等の存在であると認めさせた優れた外交手腕を発揮します。この文章は「天皇」という言葉が最初に出てきた極めて有名な文献であり普通の日本人なら知っていて然るべきだと私は思います。

しかし霧島会のやってきた事はこの前文と全く真逆であり三枝氏や幸福の科学を非難するメンバーを罵倒し排除して「お山の大将」になっているだけでありコミュニティとしてまともに機能しているとは言い難い状況です。

ちなみに「三枝靖夫」「高千穂峰剣」「闇金やみきん」「平田広次」「霧島皇子」

「福島久司」は同一人物です。アカウントを使い分けているだけに過ぎません。

我々は他にも別アカウントがあるのではないかと思っております。

彼が何故こういう事をするのかについては次回のブログで考えていきたいと思います。

あとがき

今回はこのブログを始めるにあたって皆様へのご挨拶と「霧島会(公開版)」の前文を少しつついただけで終わってしまいましたがいかがでしょうか?

このコミュニティの本質が少しでも皆様に伝われば幸いです。

何も知らないで参加するのとそのコミュニティに対する知識を持って参加するのとでは大きく意味が違うと私は考えております。

このブログはこうしてゆっくりとしかし確実に「霧島会」をはじめとする彼のコミュニティの本質を記述していくつもりでおります。

お付き合い頂けます様、宜しくお願い致します。